May, 28, 2015, Cambridge--東京大学 大学院工学系研究科の香取秀俊教授(理化学研究所 主任研究員)、大前宣昭特任研究員らは、水銀原子を用いた光格子時計を新たに開発し、研究グループが先行して開発した世界最高精度を持つ低温動作ストロンチウム光格子時計と直接比較し、現在の「秒」の定義の実現精度を超える周波数を計測することに成功した。
光格子時計は、次世代の「秒」の定義の有力候補として世界中で盛んに研究されている。光格子時計の精度向上を阻む困難の1つは、原子の周辺環境から放射される電磁波(黒体輻射)が「原子の振り子」の振動数を変化させてしまうことだった。
研究グループは、これまで光格子時計に用いられてきたストロンチウムやイッテルビウム原子に比べて、黒体輻射の影響を受けにくい水銀原子を用いた光格子時計を開発してきた。今回、紫外レーザの長期安定動作技術を確立したことにより、セシウム原子時計の精度を上回る水銀光格子時計を初めて実現した。
異種の原子を用いた光格子時計同士を直接比較し、その周波数比を現行の「秒」の定義を超える精度で決定することは、光格子時計による次世代時間標準の確立のための重要なプロセス。一方、この周波数比は、物理定数の1つである微細構造定数の恒常性の実験的検証を可能にし、新たな基礎物理学的知見をもたらすことが期待される。
研究成果は、米国物理学会誌「Physical Review Letters」オンライン版にに公開される。
研究グループは、紫外レーザの長期安定動作技術を確立し、水銀光格子時計の長期安定動作と高精度化を実現した。水銀光格子時計のずれを引き起こす要因を系統的に検証し、時計の不確かさを7×10-17と評価した。これまで実現された水銀光格子時計に比べ、およそ80倍の精度の向上を達成した。
高精度な時計の評価には、その時計と同等以上の精度の時計が必要になる。現在の「秒」の定義であるセシウム原子時計を基準にすると、セシウム原子時計の精度であるおよそ1×10-15までしか測定できない。より高精度に評価するために、先行して7×10-18の不確かさが確認されている低温動作ストロンチウム光格子時計との周波数比を測定した。低温動作ストロンチウム光格子時計の光周波数(約429THz)と水銀光格子時計の光周波数(約1129THz)の比を測定するために、光周波数のものさしの役目を果たす光周波数コムを用いた。光周波数コムは、このプロジェクトの委託研究で開発されたエルビウムファイバコムを使用。
水銀光格子時計と低温動作ストロンチウム光格子時計の周波数比を8×10-17の不確かさで決定した。約3ヵ月の間を空けて測定した結果から、周波数比の再現性も確認されている。今回達成した精度は、セシウム原子時計を使って国際原子時として共有できる「秒」の精度1×10-15を10倍以上も上回る精度。この成果は、現行のセシウム原子時計を使った「秒」の定義では表現できない物理量を、高精度な光格子時計同士の直接比較によって示した極めて重要な成果。このような高精度な周波数比の決定は、物理量の国際的な情報共有に重要。さらに、現在の「秒」の定義で表現できない物理量の測定は、「秒」の定義の不完全さをあぶり出し、「秒」の再定義の必要性の大きなアピールになる。
現行の「秒」の定義の精度を超える高精度な時間・周波数の測定では、このような周波数比の測定が、物理量を国際的に共有する唯一の手段。今回の比較実験は、将来の「秒」の再定義を視野に入れる、異種の光格子時計の直接比較の先駆けとなる成果。研究チームは、今後さらに異種の原子時計の高精度な比較を行うことを目指している。
原子時計では、物理定数が定数であることを暗黙の仮定としている。従って、どの原子で作った原子時計も同じ時を刻む、「普遍な1秒」を刻むはずであるが、もし物理定数が時間変化すれば、この限りではない。異種の原子時計の進み方が変わるはずである。特に、水銀光格子時計とストロンチウム光格子時計の周波数比較は、微細構造定数と呼ばれる無次元の物理定数の経時変化を高感度に検出できる系として関心が寄せられている。微細構造定数の恒常性を検証するため、水銀光格子時計の精度や測定装置の安定性をさらに向上させ、継続的にこの異種原子からなる光格子時計の周波数比を測定する予定。もし周波数比の経時変化が見つかれば、これまで「物理定数は定数である」との暗黙の仮定の上に成り立ってきた現在の物理学の体系を根底から覆す可能性が出てくる。