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光通信の歴史と来るべきフォトニックネットワークの課題
電子情報通信学会、ICT PIONEERS WEBINARを開催

August, 1, 2023, 東京-- 「Beyond 5G」とも呼ばれ、現在普及が進む5Gの性能をさらに進化させた次世代移動通信システム「6G」。高速大容量化や低遅延、多数同時接続といった通信における高度化を実現でき、革命的な社会変革をもたらすと期待を集めている。
 テラヘルツ波の適用が想定されている6Gでは、無線交換局の数は飛躍的に増え、その先のネットワークにおいては、さらなる高速大容量化を達成するため、光技術をベースとしたフォトニックネットワークの実現が求められている。
 研究開発の重要性は、ますます高まっている。その方向を誤れば、世界における日本の存在感は失われかねない。このような状況の中、光通信技術の研究開発においても、改めて温故知新の姿勢が重要な意味合いを持つ。歴史から学ぶものは多いはずだ。

 電子情報通信学会(IEICE、会長:東大・森川博之氏)のICT PIONEERS WEBINAR講演「光通信システムの実用化への挑戦を振り返って」(講師:電通大名誉教授・三木哲也氏)が7月6日(木)、オンライン開催された(主催:同学会サービス委員会)。
 WEBINAR講演は、同学会がカバーするICTに関する様々な技術分野の中から根幹となるテーマを選定して、その第一人者が現在、過去、未来について解説するというもので、今回でシリーズ39回目を迎える。
 今回の講演では、NTT入社後、三木氏が1974年から研究所で携わった黎明期の光ファイバ伝送の研究と、それをベースとしたNTT通信網に最初に導入されたF-32M/F-100M光伝送システムの開発に加え、その後80年代から90年代に携わったFTTH (Fiber To The Home)の研究開発を振り返るとともに、通信網の全光化を目指すフォトニックネットワークに関する研究とその将来展望が語られた。
 通信ソサイエティ会長である笠原正治氏(奈良先端大)は、今回の開催にあたって「世界トップレベルの情報通信技術の研究開発経験談は私達にとって単に過去を知るだけでなく、情報通信産業の破壊的なブレークスルーを起こすにはどうしたらよいか、という私達が直面している課題に大きな示唆を与えて頂けるものと思います」と述べている。
 本稿では、個人的に印象に残った講演でのトピックスを紹介したい。

同軸ケーブルからFTTHへ
 三木氏は1965年電通大を卒業、70年に東北大・大学院の博士課程を修了し、同年NTT(当時は日本電信電話公社)に入社、配属された電気通信研究所・時分割伝送研究室において、アナログ回線によるデジタル伝送、同軸ケーブルDC-400M伝送の研究に従事した。74年から基幹伝送研究部・光ファイバ通信研究グループに参画、光ファイバ伝送に関する調査を開始するとともに、光伝送研究室発足に伴い76年から光ファイバ伝送の設計と実験に携わった。
 78年からはF32M/F100M方式の現場試験、80年からは本社技術局伝送部門でその商用化に携わり、82年から伝送方式研究室長として可変容量伝送、光LANを研究、86年からは研究管理業務を経て、通信網推進研究部長としてFTTHの検討を行った。90年からは伝送処理研究部長としてFTTH実用化に携わり、92年から光ネットワークシステム研究所長として光通信全般とFTTH推進に尽力した。
 NTT退職後は、95年から電通大の教授に就任してフォトニックネットワークの研究に従事するとともに、2008年に同大学理事に就任。学会活動においても、電子情報通信学会副会長や通信ソサイエティ会長、IEEE ComSoc副会長などを歴任している。

 三木氏が光ファイバ通信研究グループに参画した74年当時、NTTでは光通信の適用は局間の中継線が最も有望であり、その後長距離回線へ進んでいくというスケジュールを考えていたという。しかし、当時の三木氏は光ファイバ通信研究グループでの調査を通じ、すでに加入者線への適用の可能性を強く感じていた。加入者に光通信を導入するには波長多重が必須だと考えた三木氏は、77年世界初の光WDM(784、825、857nmの3波長、伝送速度8.192Mbps)実験も行っている。
 FTTH導入の検討は86年からスタート、PDS(Passive Double Star)方式の研究・実用化に取り組んだ。米国は当時CT/RTシステム(途中まで光ファイバ、その先はペアケーブルを使用する方式)を提唱していたが、三木氏は10km程度まではPDSの方が安価だという結論に達していた。
 そのプランは、95年から光加入者を増やしていき、その後15~20年で100%の光化を目指すというものだった。93年には横須賀研究所の近くにFTTHの実験用ハウスを建て、電子新聞など、将来のマルチメディアサービスの実証実験を公開した。そのハウスは、関係者の間で「ミキハウス」と呼ばれた。
 ところが、そこに思わぬ伏兵が現れる。ADSLだ。海外を含め、このADSLを押す風潮が拡がり、NTTもやらざるを得ないという状況に陥った。結局、FTTHは5年遅れの2000年からスタートすることになる。
 その歴史を振り返って、三木氏はFTTHをいきなりネットワークに導入するのではなく、調査期間を設けて熟慮できたことが、結果としては良かったと述べている。

 国際標準に関する議論は、IEEEが主催する「FTTHワークショップ」後に開かれる「Telco Meeting」において進められた。構成国は、日本、米国、英国、フランス、ドイツ、イタリア、カナダの7か国だ。ちなみに、PDSという名称がその後PON(Passive Optical Network)という名称に変わったのは、英国・BTの提案に各国が従った結果だという。通信における英国の権威と影響力は、絶大ということなのだろう。
 91年には東西ドイツが統合された。そこでは、西ドイツに比べ圧倒的に遅れていた東ドイツの通信網整備が急務とされた。そこでドイツテレコムはNTTに技術援助を要請、光アクセスのコア技術の提供を求めた。NTTはこれを承諾、94年から商用試験、95年から本格導入というスケジュールで、プロジェクトが進められた。システムには当然、日本メーカの製品が使用される予定だった。
 そこに米国の横やりが入る。結局は米国メーカの製品が採用されることになり、プロジェクトは幻となった。世界市場すべてが日本に握られてしまうという、当時の米国の危機感が打ち出したジャパン・バッシングの動きの一つだったのだろう。
 経済安全保障がかまびすしい昨今、諸外国の施策が自国ファーストだけのために打ち出されたものかどうか、我が国には的確な見極めとしたたかな戦略が求められる。

フォトニックネットワークの展望
 三木氏は、光スイッチがOXC(Optical Cross Connect)やROADM(Reconfigurable Optical Add/Drop Multiplexer)から一気に光パケットスイッチに行くのは難しいとの見解を示した上で、96年に自身が提案した光バーストスイッチ(OBS)方式を解説。2005年に、光バースト多重方式を用いて「けいはんな」のNICT光通信テストベッドで実施したOBSノード実験について紹介した。
 無線通信と光通信には約70年の時間差があると指摘した三木氏は、そろそろ光トランジスタが発明されても良い頃だと述べる。ところが、「光は自己主張が強い」(エネルギーが高い)。光トランジスタ実現には、フォトンをフォトンで制御する新たなメカニズムの出現が求められ、そのためにはより強力なフォトンが必要だと述べた。さらに、ICTは「伝える」から「場づくりの空間」になっているとして、OSI(Open Systems Interconnection)の7階層モデルの上に、3階層からなる情報コンテンツ層が必要だとの見解も示した。
 三木氏は最後に、NTT研究所の前身である電気通信研究所が1948年に設立された際、所内の石碑に刻まれた初代所長・吉田五郎氏の「知の泉を汲んで研究し、実用化により世に恵みを具体的に提供しよう」という言葉を紹介して、これこそが現代の「Well-being」に通じると述べ、講演を終えた。

電子情報通信学会ソサエティ大会
 9月12日(火)から15日(金)までの4日間、名古屋大の東山キャンパス(愛知県名古屋市千種区)において、電子情報通信学会ソサイエティ大会が開催される。聴講は8月25日(金)までに申し込み(第1次申し込み)をすれば、早割が適用されるとのことだ(第2次申し込みは9月1日から)。最新の情報については、下記URLの大会ホームページを参照されたい。
https://www.ieice.org/jpn_r/activities/taikai/society/2023/index.html
(川尻 多加志)