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創設75周年を迎えた応用物理学会関西支部
記念講演会を開催

December, 5, 2022, 東京-- 応用物理学会(応物)関西支部(支部長:阪大教授・尾﨑雅則氏)が創設75年周年を迎えた。支部が創設されたのは応物(本会)が発足した翌年の昭和22年(1947年)。物理学と工学を結ぶ応用物理学を基盤に、学界と産業界がその枠にとらわれず交流する進取性に富んだ気風は、当初から一貫している。正会員は2020年8月現在で約3,600名、産業界からも賛助会員企業15社、1,200名を超える会員が活動している。産・官・学を問わず、多彩な分野・業種で活躍する人が会員であることが関西支部の大きな強みとなっている。
 関西支部では、講演会やセミナーにおいて学際的研究や実用指向の研究、さらには起業を目指した技術開発なども積極的に取り上げてきた。現状のコロナ禍では、リアルとオンラインのハイブリッド形式で開催を実施しているが、これまではポスター発表や企業展示などを含め、リアルに会話する場の提供を重視してきた。異分野・異業種の人との会話は、同じ課題を異なる視点から見ることにつながり、ひらめきを生むきっかけにもなる。専門を異にする人の失敗談が、自分自身の研究開発における課題解決のヒントにつながることもある。支部では今後、リアルなエリア開催とオンライン開催のそれぞれの良さの兼ね合いを考慮しながら、支部そのものの在り方も考え事業を進めて行きたいと述べている。
 若手人材の育成・支援にも積極的に取り組んでいる。次代を担う子供たちの教育に携わる人々が現代の先端技術に触れるリフレッシュ理科教室-現代テクノロジー講座や、実践的な科学技術論文の書き方講座の開催に加え、学生の学術発表や若手のセミナー企画サポートといった活動を継続的に行い、関西地区の学生・若手チャプターや留学生の活動も積極的に支援してきた。支部では、今後も分野を横断して知を究め、関西の地から新しい価値を発信できるように努めるとしている。
 
75周年記念講演会
 関西支部では、これまでにも本会が主催するものとは趣の異なる学術講演会を開催してきた。毎回特定のテーマを取り上げ、第一線で活躍する研究者・エンジニアが、その研究開発の現状を紹介するとともに、学生を中心とした若手の発表の場も設け、研究成果の発信を通じて相互交流を深めている。
 11月7日(月)には、創設75周年を記念した講演会も開かれた。テーマは「応用物理のダイバーシティ~サイエンスからビジネスまで~」で、企業ダイバーシティという切り口において、応用物理とそれをもとにした起業に関連する招待講演に加えポスター発表が、阪大・吹田キャンパスとオンラインのハイブリッド形式で行われ、総勢114名が参加した。
 ポスター発表は29件と数が多く、すべてをここに掲載することはできないので、今回のポスター賞の最優秀賞1件と優秀賞2件、加えて招待講演3件のテーマと講演者を以下に記す。

第1部:講演の部「応用物理のダイバーシティ~サイエンスからビジネスまで~」
【招待講演】
1.本格的実用化を迎えたSiCパワーデバイスの現状と課題:木本恒暢氏(京大)
2.大学教授が会社を興す:河田聡氏(ナノフォトン会長兼社長・阪大名誉教授)
3.空中映像関連の最近の話題:前川聡氏(パリティ・イノベーションズ代表取締役)
第2部:ポスター発表の部
【最優秀賞】
トロイダル双極子共鳴を有するシリコンナノディスクアレイによる狭帯域近赤外光検出:森朝啓介氏(神戸大)、他
【優秀賞】
1.分子内遷移双極子モーメントの配向制御に基づく新規直線偏光発光材料の開発:仲村快太氏(京大)、他
2.表面電気化学的反応を用いたMoS2の大面積薄層化:望月陸氏(阪公大・東大)、他

売るのは会社ではなく製品
 ナノフォトン会長兼社長の河田聡氏は、現在OPTICA(旧OSA)のPresidentでもある。河田氏の創業したナノフォトンが扱う製品は、各種ラマン顕微鏡。最新の製品は、ラマン顕微鏡最大の弱点である測定時間が著しく長いという問題を解消した「RAMAN walk」だ。サンプルの事前情報がなくても、ラマン散乱の特徴だけで最適な経路のポイント走査を可能にした。ラマン分光、コンフォーカル顕微鏡、2D-CCDに加え、確率過程論(ブラウン運動)と情報エントロピー(判定基準)を用いたもので、分光器からスリット、レーザ走査系、顕微鏡、ステージ、ソフト、エレクトロニクスまで、すべて社内で設計、製品化を実現した。
 河田氏は、日本において博士課程への進学率が低い理由は、「マスコミと教授(文科省)」が原因だと指摘する。最近よく取り上げられるポスドク問題では、マスコミは博士課程に進む学生が減っている原因を、ポスドクが不安定な非正規雇用だからであり、「博士に進学しても職がない」とまで報道する。
 日本では、正規雇用=偉い、非正規雇用=偉くないというイメージがすっかり出来上がってしまった。しかし、日本の正規雇用とは終身雇用のことであり、一生涯同じ会社に勤めるということを意味する。河田氏は、科学者は正規雇用という立場に縛られるより、自由でありたいと思っても良いではないかと述べる。一方で、学生からしたら教授は書類書きや会議、雑用と予算申請ばかりやっているようで、とても楽しそうに見えない。これでは教授は、憧れの存在とは言えないと指摘した。河田氏はさらに、「日本の会社は何かがおかしい」と述べる。日本の大企業からiPhoneやRoombaのような画期的な製品が生まれているだろうかと疑問を投げかけた。
 河田氏は、SME(中小企業)とベンチャーはあくまで違うものであり、SMEが売るのは製品であり、ベンチャーが売るのは会社だと述べる。1979年から81年にかけて米国・カリフォルニア大学アーバイン校に博士研究員として在籍した間に河田氏が見たものは、教授達がガレージの中でいろいろなモノを学生達と作る光景だった。エレクトロニクス回路を作る人もいれば、レンズを磨いている人もいる。みんな、自分で作ったものが実社会で売れるかどうかを試しがっていた。河田氏も論文や研究費の申請書を書くだけでなく、自分の研究成果を実際の製品にして売ってみたいと思った。しかし、当時の日本の大学は社会に対し、いわば鎖国をしているような状況、ビジネスに関わることなど許されなかった。
 転機が訪れたのは2002年10月だった。事業兼職規制が緩和されたのだ。河田氏はさっそく「ナノフォトン」を創業した。河田氏は「自分にとってベンチャーはリアリティがなかった。会社を売るではなく自分の製品を売りたかった」と振り返る。孵化の期間は、大企業に潰されないことを意識したという。そのためには大企業と競わずニッチなマーケットをターゲットとし、超高機能・高性能・少量生産を目標に掲げ、自転車より戦闘機、ユニクロよりルイ・ヴィトンを目指した。
 危機にも幾度となく見舞われた。実績信用がゼロなので製品が売れなかった時期もあった。円高やリーマンショック、半導体不況もあった。裁判沙汰や放漫経営の危機にも見舞われた。コロナ騒動は7回目の危機だった。2017年には自ら社長に就任、これを第2の創業と捉え、2020年1月、阪大の吹田から、シリコンバレーのように様々な分野の人との出会いがある環境を求め、箕輪に本社を移転した。
 貸借対照表や損益計算書、粗利、販管費、キャッシュフロー、在庫管理、労基法、融資といった経営を学んだ河田氏は、SMEの経営はサイズ感や勤務形態、新陳代謝などの観点から研究室の運営と似ているところがあり、教授向きであるという。さらに、ナノフォトンは科学者の会社だとした上で「他の人にはできると思えないことばかり求め探してきた。失敗もたくさんしてきた。だけど成功すれば何時だって世界初。これが発明家の基本であり、科学者の原点だ。そうでなければ、世の中に新しい発明も科学も生まれてこない。これこそが起業家精神だ」と述べている(同社HPより筆者要約)。
(川尻 多加志)