September, 11, 2015, 東京--大脳皮質の数百億もの神経細胞はシナプスを介して情報をやり取りしており、特にグルタミン酸作動性シナプスの多くは樹状突起スパインという小突起構造上に形成される。スパインは記憶・学習に応じて新生・増大し、それに伴いシナプスの伝達効率が変化するので、脳の記憶素子と考えられてきた。しかし、記憶の獲得時に、実際に使われている多数の記憶素子の分布を同定し、実際の記憶への関与を検証する方法はなかった。
東京大学 大学院医学系研究科 附属疾患生命工学センター 構造生理学部門の林(高木)朗子特任講師、河西春郎教授らの研究グループは、学習・記憶獲得に伴いスパインが新生・増大することに注目し、これらのスパインを特異的に標識し、青色光を照射することで標識されたスパインを小さくするプローブ(記憶プローブ)を開発した。この記憶プローブを導入したマウスでは、運動学習によって獲得された記憶が、大脳皮質への青色レーザの照射で特異的に消去された。また、各々の神経細胞における記憶に関わるスパインの数を数えると、大脳皮質の比較的少数の細胞に密に形成されていることがわかり、記憶を担う大規模回路の存在が示唆された。こうして、スパインが真に記憶素子として使われている様子を可視化し、また操作する新技術を世界に先駆けて確立した。
研究グループは、学習・記憶時の長期増強に伴いスパインが増大することに着目して、長期増強を示したスパインだけを標識・操作するために、5種類の遺伝子を組み合わせた人工遺伝子である記憶プローブを設計し、生体内で記憶プローブ(蛋白質)を作り出すようにした。その基本となるのは、PaRacl蛋白質という光遺伝学で使用される光感受性蛋白質。この蛋白質は青色光を吸収すると蛋白質の立体構造が変化し、発現しているスパインを収縮させる。PaRaclを長期増強したスパインだけに集積するように細工し、集積したスパインを蛋白質の蛍光により“見える(可視化)”ようにしたものが記憶プローブ。実際にスパインに強い長期増強刺激を与え、そのサイズを増大させると、記憶プローブが長期増強スパインに集積することを確認した。
次に、研究グループは、青色光を与えることで生きた動物の脳内でスパインを人為的に操作できるかを確認した。大脳皮質を広範囲に光照射するための2本の光ファイバを両側の一次運動野表面に留置したのち、ロータロッドという運動学習課題をマウスに与える。学習後に記憶プローブで標識されていたスパインは、光照射により退縮し、これとは対象的に記憶プローブで標識されないスパインは、光照射で影響を受けないことが確認され、光照射は記憶プローブで標識されているスパインだけを、言いかえれば学習・記憶により長期増強したスパインだけを収縮させることが可能になった。
記憶・学習により長期増強したスパインだけを収縮させるとどんな行動の変化がマウスに見られるか。それを確かめるために、両側の一次運動野に記憶プローブを遺伝子導入した群、対照実験として記憶プローブを導入しないマウス群(コントロールプローブ導入マウス)を用意し、どちらの群もロータロッド運動学習後に青色光を照射した。光照射を行うと、コントロール群では光照射による影響は受けないが、記憶プローブを導入したマウス群は獲得した運動学習記憶に障害を受けた。学習によって長期増強したスパインを特異的に退縮させると、その記憶が障害されるということを世界ではじめて示した。これらの研究により、スパインが学習・記憶の基盤を担っていること、これらのスパインの分布、すなわち学習・記憶が貯蔵されている場所を可視化・操作する新技術を確立することが出来た。各々の神経細胞における記憶に関わるスパインの数を数えて、記憶スパインは大脳皮質の比較的少数の細胞に密に形成されていることがわかり、特異的な記憶を担う固有の大規模な神経回路の存在が示唆された。
この新技法を用いることで学習・記憶の細胞基盤やその正常機能の破綻である認知症や心的外傷後ストレス障害のメカニズムに大きく貢献する可能性がある。