1)パラメトロン(Parametron)1954年
パラメトロンは、1954年に東京大学大学院生の後藤英一によって発明された論理素子で、フェライトコアとパラメトリック励振を利用し共振回路の振動位相を通じて2値(0/1)を符号化する仕組みを持つ。これにより、当時の高価で信頼性の低い真空管やトランジスタに代わる低コストかつ高信頼性の論理演算が可能となった。パラメトロンの導入は「多数決論理」を実現し、多様な計算機能を高効率で展開できる画期的な技術革新であった。
この技術は1958年に完成した日本初の大学製プログラム内蔵型コンピュータPC-1に約4,200個搭載され、当時国内最速の計算機として稼働した。PC-1は高速キャリー伝播演算装置や2命令同時実行、非破壊読み出しとエラー訂正を備えたAC駆動型磁気コアメモリ、割り込み駆動型マルチタスク処理など先進的な機能を有し、自然科学研究者に電子計算の無償利用を促進した。
1960年代以降、トランジスタ技術の進歩によりパラメトロンは主流から外れたものの、日本の初期コンピュータ開発と科学研究の基盤を支え、技術史における位置づけを確固たるものにした。創造的な設計によって実用的課題を克服し、コンピュータの発展に永続的な遺産を残した点で、パラメトロンの意義は極めて大きい。
詳しくはIEEEのWebへ(2025/06/25)
https://ieeemilestones.ethw.org/Milestone-Proposal:Parametron,_1954
2)蛍光表示管(VFD:Vacuum Fluorescent Display)1967年
蛍光表示管(VFD)は、1967年にイセ電子工業の創業者である中村正博士によって実用化された革新的な表示技術である。従来の大型かつ高価な高電圧ニキシー管に代わる低コスト・低電圧のディスプレイとして開発され、特に1972年にフラットパネル形式の表示器として電卓業界に革命をもたらした。VFDは優れた視認性と耐久性を兼ね備え、1980年代以降は家電、自動車、産業機器、民生用電子機器など幅広い分野で普及した。
中村博士は、CRTの表示を逆方向から見るという独創的な発想により技術的課題を克服し、VFDの実用化を実現した。この「コロンブスの卵」とも称されるアイデアは、従来技術を根本から見直すことで新たな応用可能性を開拓した。日本の電卓市場での激しい「電卓戦争」においても、VFDは重要な役割を果たした。
また、中村博士は学術機関や企業と連携し「フロンティアスピリット」と「協調精神」を持って技術革新に取り組んだ。この技術は半世紀以上にわたり生産され、その普及と信頼性により、ディスプレイ技術史における重要な遺産として位置づけられている。
詳しくはIEEE のWeb へ(2025/05/20)
https://ieeemilestones.ethw.org/Milestone-Proposal:Vacuum_Fluorescent_Display,_1967
3)カラー・プラズマ・テレビジョン(Color Plasma Display)1993年
1993年、富士通の篠田彬氏率いる開発チームが、初の実用的な21型カラープラズマテレビを商品化した。篠田氏は面放電を利用した反射型三電極構造や、フルカラー映像を実現するアドレス・ディスプレイ・セパレーション(ADSD)方式などの革新的技術を開発し、この製品の成功は大型フラットパネルディスプレイの発展を促進した。プラズマテレビは優れた視認性と耐久性を備え、2010年代にかけて家庭用大型テレビやパソコン用モニターとして広く普及した。
1990年代、37インチの大型CRT が実用最大サイズを記録する中、CRTに代わる大型ディスプレイ技術としてプラズマディスプレイパネル(PDP)、蛍光表示管(VFD)、液晶ディスプレイ(LCD)などの競争が激化した。PDPは広い視野角や高速応答、高コントラストに加え、低コストで大型化が可能という利点を持つ。
1996年には42インチのカラープラズマテレビが発売され、40インチ以上の大画面薄型テレビ市場を切り開いた。これに続き液晶テレビも大画面化を進め、2000年に30インチワイド、2003年には45インチモデルを発売した。プラズマテレビの登場は大型テレビ市場の確立に大きく寄与し、現在の大画面テレビ普及の礎となった技術革新である。
詳しくはIEEEのWebへ(2025/05/20)
https://ieeemilestones.ethw.org/Milestone-Proposal:Color_Plasma_Display
4)青色発光ダイオードの実現、1989-1993
青色発光ダイオード(LED)の実現は、赤色や緑色LEDが早期に発明されていた一方で、青色LEDに適した半導体材料の発見が長らく課題とされてきた。青色LEDは、広いバンドギャップを持つ材料と高品質な結晶成長、pn接合の確立など、多くの技術的難関を克服する必要があった。
1989年、赤﨑勇と天野浩は、窒化ガリウム(GaN)を用いたpn ホモ接合型紫外線LEDの結晶成長とpn接合の実証に成功した。続いて1993年、中村修二は窒化インジウムガリウム(InGaN)ダブルヘテロ構造を用い、従来の1000倍の明るさを誇る高輝度青色LEDを初めて実証し、量産化を実現した。
これらの技術革新は、照明分野をはじめとする多様な産業に革命をもたらし、省エネルギーや長寿命、高品質な光源の実現に貢献した。医療技術の発展にも寄与し、青色発光技術の新たな可能性を切り拓いた。この業績により、赤﨑、天野、中村の三氏は2014年にノーベル物理学賞を受賞し、青色LEDは世界のエレクトロニクスと照明の基盤技術として不動の地位を築いた。
詳しくはIEEEのWebへ。(2025/05/20)
https://ieeemilestones.ethw.org/Milestone-Proposal:Realization_of_Blue_Light_Emitting_Diode,_1989-1993
その他、全体のマイルストーン審査進捗状況は以下のIEEEのWebよりMilestones Status Report が確認できる。
https://ieeemilestones.ethw.org/Milestones_Status_Report